観光ガイド・レポート

仙台歴史探訪!仙台に残る戦争遺構を探せ!その2

 先週からお送りしている
 仙台に残る戦争遺構を巡るシリーズ!!

 仙台市は苦竹駅のすぐ側にある仙台駐屯地に
 戦時中に使用された「空襲警報のサイレン」が駐屯地内に
 展示されているという情報を見つけ、
 2013年9月29日に開かれた

 「東北方面隊創隊53周年記念行事

 に足を運んだ際に見てきました。

 駐屯地内という、普段入れないところにあるものなので、
 なかなか貴重な機会でした。

 ちなみに「どこにあるのか?」と言うことですが、
 仙台駐屯地の45号線に面している北門から入ると、
 すぐに守衛のいる建物があります。
 そこの前を過ぎてすぐ左手にある建物の前にあります。

 ということで早速お写真をどうぞ!

 
 大きさで言うと非常に大きなサイレンです。
 高さも1mくらいあったでしょうか?

 
 サイレンの下にある説明書きの看板にズームしたもの。

 そしてこれが、看板に書かれていた内容(原文のまま)

戦前、仙台駐屯地は東京第一造兵廠仙台製造所で苦竹造兵廠とも言
われていた。昭和十三年建設が始まり、陸軍省兵器本部(十条)管
轄下におかれた。

第一工場(20ミリ航空薬莢)、第二工場(12.7ミリ航空薬莢
)、第三工場(火薬類)、第四工場(航空弾帯)があり、昭和20
年頃の所長は上条卯作大佐(終戦時自決)で、多くの職員と微用工
(一般国民)、動員された学徒(男子)及び挺身隊(女子学生)を
擁し、国防の一翼を担う重要な施設であった。

昭和20年8月の終戦まで、この造兵廠で働いた人々にとっては忘
れることのできない処である。市民の思い出深い空襲警報サイレン
は、当時の造兵廠の中央付近にあったボイラー施設の屋上に設置さ
れており、警報音は仙台駅付近でも聞こえ、地域の人々を救ったと
いわれている。

平成13年8月建立

 仙台駐屯地は元は陸軍の軍事施設だったのですね。

 1945年7月10日の仙台大空襲日も鳴っていたのでしょうか。
 多くの命を救ったであろう貴重な戦争遺構です。

 終戦直後の仙台駐屯地の様子は、
 国土変遷アーカイブにある米軍機による航空写真でその様子がわかります。

 国土変遷アーカイブ
 リンク:http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do

 著作権の関係で、写真が載せられないのが残念ですm(__)m

 さて

 お目当てだったサイレンを見終わった後は、
 駐屯地内を歩ける範囲で散策したので、
 その様子でもご覧くださいませ!

 北門から入ったのですが、さすがに駐屯地内に入るということで、
 簡単ですが、荷物のチェックがありました。

 9月末とはいえ、この日はなかなかの陽気で暑くて大変でした(^_^;)

 お祭りは北門から南門までの一直線沿いで行われており、
 縁日をはじめ、戦車や武器、震災時に活躍した設備といった、
 自衛隊ならではの展示も!

 
 北門から入ってすぐ。
 左にチラッと見えているのは、水陸両用車だったような・・・?

 
 震災時も活躍した、橋を作る車両。

 
 81式短距離地対空誘導弾と書いてあります

 
 多連装ロケットシステム自走発射機M270と書いてあります

 
 74式戦車なんだそうです。

 
 
 ずらりと展示されていました。

 
 お祭りは結構な人で賑わっており、それには正直ビックリ!

 
 北門から入ってすぐにある訓が書かれた看板

 7月に仙台港にイージス艦を見に行く。
 9月に偶然開催していた八戸マリンフェスタでイージス艦4隻等を見に行く。
 今回の自衛隊祭りに参加して。

 大して興味ないとか言いながら、案外楽しめている自分がいる件(笑)

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