観光ガイド・レポート

仙台歴史探訪!仙台に残る戦争遺構を探せ! その1

 まず動機から!

 今年の7月でしょうか。

 過去記事:
 7月10日「仙台空襲」。時は1945年。
 米爆撃機 「B29」 123機による攻撃。その記録を記憶に。
 リンク:http://goo.gl/1bRdbI

 こんな記事を書きました。

 この記事をきっかけに、私は「戦災復興記念館」にも足を運び、
 仙台における戦争の歴史を学びました。

 そこで私は思いました。
 仙台やその周辺に残る、戦争を伝えるモノ。
 つまり「戦争遺構」は残っていないのだろうか?

 戦争遺構というと、西日本や関東周辺には数多く残っていることは
 よく知られていますが、じゃあ仙台は?と、言われると・・・

 あまり聞いたことがありません。
 ならば自分で調べよう!

 ということで、夏頃からコツコツと時間を見つけては、
 インターネットでの調査に加え、図書館に資料を探しに出かけ、
 見つけた資料を元に、実際に足を運び、見て・触れて・感じてきました。

 時には33度の炎天下の中、
 カメラと水分補給用のペットボトルを片手に探して回ったことも(笑)
 かなりのボリュームになったので、
 ちょっとずつ回を分けて公開させて頂こうかなと考えております!

 ただ、なにぶん素人の独自調査によるものなので、
 多少の間違いはご了承くださいm(__)m

 まずは語るより、写真を見ていただこうかなと。

 
 

 お分かりでしょうか?

 「陸軍省管轄地」と「海軍」と書かれております。

 これは「境界石」と呼ばれる、土地の境目に打ってある「杭」です。
 土地をお持ちの方はよくご存知かもしれませんね!

 陸軍省管轄地と書かれた境界石を撮った場所は、榴ヶ岡公園です。
 第二次世界大戦時、榴岡公園には日本軍による軍事施設(歩兵第4連隊)があり、
 その敷地にあった杭がこうして残っているのですね~

 榴岡公園の歴史についてはウィキペディアに詳細が書いてあります。
 ウィキペディアによるつつじが丘公園の歴史
 リンク:http://goo.gl/kzeWBi

 戦後に公園として整備された際に、杭は捨てられることなく
 こうして、碑と一緒にひっそりと置いてあります。

 何かの碑があることは知っていましたが、
 こうして調査するまで、杭についてはまったき気づきもしませんでしたし
 気にすることもありませんでした。

 碑とありますが、これがそうです。
 

 碑には「歩兵第4連隊之跡」と書いてあります。
 ウィキペディアにも書いてありますが、
 現在の仙台市歴史民俗資料館は歩兵第4連隊の施設の一部であり、
 県内では最古の木造洋風建築なんだそうです。

 現在の仙台市歴史民俗資料館

 看板があり、そこには説明がかいてあります。

明治7年(1874)に造営された兵舎建築で、宮城県内に現存する洋風建築では最古のもの。瓦葺寄棟造り木造2階建で、漆喰塗りの大壁、建物角隅にはコーナーストーン、ガラス入り上下窓、出入口のポーチには洋風円柱、雲形の彫刻を有する階段等の特徴を持つ。これらは明治6年完成の名古屋第六連隊兵舎と似ていることから、当時の兵舎建築の基準に則ったものと考えれる。終戦まで60年間にわたり旧陸軍の兵舎として使用された後、終戦から昭和31年までは米軍が駐留、その後、昭和50年までは東北管区警察学校等に使用された。内部はその都度改造されているが、昭和53年文化財に指定された後、明治37年の状態に復元された。なお、同様の兵舎が7棟残されていたが、これ以外の兵舎や本部等の建物は榴岡公園整備のため昭和52年2月に取り壊された

平成4年仙台市教育委員会

 原文のまま頑張って書きました(^_^;)

 この建物も戦争遺構の一つであることには違いないですね。

 榴岡公園一帯が軍事施設であったことを考えると、
 もしかすると、まだ境界石が残っているかも?

 そう思い、この日の気温は33度!
 炎天下の中、カメラと水分補給用のペットボトルを片手に
 汗を拭きながら、公園内の茂みの中、周辺を隅々まで歩いて探してみましたが、
 境界石は碑の近くの1つのみで、見つかりませんでした。

 しかしですよ。
 公園内の草むらの中に、消火栓のようなものを見つけました。
 

 もっと近寄ってみます。

 

 戦争遺構に関係ないかも知れません(笑)
 しかし非常に古そうです。

 進駐軍が駐留していた際に使っていた消火栓は
 東北大学の川内キャンパス内に点在しているのですが、それとは形状が違う。

 ネットで調査したところ、
 宮城県知事公館前の入り口付近に同じ形状のものがあることが分かりました。

[streetview width=”100%” height=”250px” lat=”38.268109″ lng=”140.858514″ heading=”-120.77219831909912″ pitch=”2.136664358807531″ zoom=”1″][/streetview]

 これが「何なのか?」が、分かれば、公園内で見つけたものの答えが出そうです!

 いつか調べる予定!

 次に、「海軍」と書かれていてる境界石について。
 柴田町は船岡城址公園のすぐ下にある「しばたの郷土館」で撮ったものです。
 ネットで得た情報により、ここにたどり着きました。
 
 
 

 柴田町には戦時中に東洋一とも言われた、約1万人もの人が働く
 海軍による巨大な火薬工場があったのです。
 一般的には「第一海軍火薬廠」と呼ばれていたそうです。

 その敷地の境界に立っていたのがこの「海軍」の境界石ということ!
 終戦後、境界石が撤去される際に、郷土館が引き取ったのでしょうね。
 門を潜ってすぐ左に見える建物の入り口に4本あります。
 

 1本目
 
 

 1本目と2本目
 

 横たわっている2本目のアップ
 

 3本目
 

4本目

 全部が写真に納まるように撮った写真
 
 もしかしたら、柴田町の第一海軍火薬廠があった、敷地境界付近を
 詳細に調べていくと、まだ残っている境界石があるかもしれませんね!

 他県では街中にそのまま残っているケースが普通にあるみたいです。

 以上、その1はこれで終わり。
 余談ですが、終戦時の仙台市を調べたり、知る上で、重要なのがこれ。
 国土地理院の「国土変遷アーカイブ」と呼ばれるサイトです。

 国土変遷アーカイブを使うと、
 米軍が終戦直後に撮影した貴重な航空写真を閲覧することができます。

 本当ならその写真を使うことができたら良いのですが・・・
 著作権の関係上、
 他のサイトに転載したり加工することは禁じられているそうなので
 それはできませんでした。

 今回の調査に当たっては、
 国土変遷アーカイブの航空写真とGoogleEarthを使いました。
 敷地がどこまであったのか国土変遷アーカイブの航空写真で調べ、
 その写真の縮尺と角度をGoogleEarthで合わせて、
 現代の地形に重ねて調査しました。

 遺構を探す際に、遺構が草に埋もれて見つけづらいこともあり、
 雪が積もる前で草が枯れた、まさに今の季節がベストであると感じました。

 そんなこともあり、最近また時間をみつけて、
 草に埋もれて調査しきれなかったところに、出かけたりもしています。(笑)
 仙台時代を通じて、少しでも仙台と戦争のことについて
 知ってもらえたらなと思っています!

 ということで、まだまだあるので、その2を乞うご期待!!

 仙台歴史探訪!仙台に残る戦争遺構を探せ! その2
 リンク:http://sendai-times.net/2013/12/19/post-5505/ ‎
 仙台歴史探訪!仙台に残る戦争遺構を探せ! その3
 リンク:http://sendai-times.net/2014/03/02/post-5619/

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  1. 海軍の杭、船岡町の山崎山公園から船岡城址公園に抜けると5基は見られます。本日、見てきました。
    知らずに歩きましたので、感激して帰宅したところです。

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