仙台暮らし

7月10日「仙台空襲」。時は1945年。米爆撃機 「B29」 123機による攻撃。その記録を記憶に。

 え?

 仙台に空襲

 そう思う方もいるかもしれませんね。

仙台空襲 河北新報 7月1日(月)8時52分配信

1945年7月10日午前0時3分から2時5分まで、米爆撃機「B
29」123機が攻撃。912トン、1万2961発の焼夷弾を投下
した。死者1399人、負傷者1683人。
主に仙台駅西側の約500ヘクタールが焼け野原となり、被災戸数は
約1万1900戸に上った。

 そうなんです。7月10日は仙台にとって特別な日なのです。

 空襲の直前、アメリカ軍は

 「仙台よい町 森の町 7月10日は灰の町」

 と印刷したビラを撒いて空襲を予告したのだとか・・・。

 ウィキペディアより仙台空襲について
 リンク:http://goo.gl/2288Ld

 私も詳しくは知りませんでした。
 123機もの激しい爆撃により市内は火の海になったそうです。

 焼け野原となり仙台駅から西公園がみえたという話もあったり。
 総務省にある仙台空襲に関するビデオがあります。

 総務省による戦災に関するビデオ[平成22年度制作]
 企   画:株式会社NHKグローバルメディアサービス
 制   作:株式会社NHKグローバルメディアサービス
 仕   様:20分
 主な取材先:宮城県仙台市
 リンク:http://goo.gl/JIho6I

 私は全部見たのですが、なかなか興味深い内容ですよ。
 最近では仙台空港で不発弾が見つかったりしましたね。

 こうして便利なネットの生活に囲まれて平和な生活していると、
 かつてこの日本という国で戦争があった。
 という事実すら忘れてしまいそうになりますが、
 戦争は紛れもない事実であり、決して忘れてはならないことですね。

 河北新報の記事
 「米軍資料が語る仙台空襲市戦災復興記念館でパネル展」
 をご紹介します。

 米軍資料が語る仙台空襲市戦災復興記念館でパネル展

河北新報 7月1日(月)8時52分配信

仙台市の中心部が一夜で焦土と化した1945年7月10日未明の仙
台空襲の実態を、米軍の保管資料から読み解くパネル展が青葉区の市
戦災復興記念館で開かれる。5日に始まる「戦災復興展」(市主催)
の一環。戦後、被害状況の資料や被災者の体験、遺物は多数紹介され
ているが、市内で初めて米軍側の記録が網羅的に公開される。

展示パネルはA2判の大きさで約40枚。
同じ日に仙台を含め4都市、1工場を爆撃した米軍の作戦任務報告書
から仙台空襲の部分を抜粋し、翻訳と解説を付ける。
報告書によると、米爆撃機B29が投弾の目標とする爆撃中心点は現
在の青葉区中央2丁目、中央通と東三番丁が交差する辺りに定められ
た。米軍は、中心点を狙って焼夷(しょうい)弾を投下すれば5割の
確率で半径1.2キロメートル以内に着弾し、市主要部を効率的に破
壊できると計算。実際に空襲はほぼ作戦通り遂行された。

仙台を攻撃対象とした根拠に、東北の輸送網の中心で線路が走るほか、
軍需工場、兵舎もあり、木造家屋が密集することなどを列記。焼夷弾
と燃料の量、気象、日本軍の対空砲撃の可能性など、あらゆる角度か
ら合理的な作戦を練り上げたことが分かる。

米軍資料は米国立公文書館が保管、一定期間経過後に公開された。日
本の国会図書館も購入し、国内各地で研究者や市民団体が入手、地域
の戦災研究に活用している。

パネル展は記念館を指定管理する仙台ひと・まち交流財団の職員馬場
俊彦さん(39)らが中心となって企画した。馬場さんは「資料には
空襲の膨大なデータが記録され、ほとんど情報がなかった戦時下の市
民とのギャップに驚く。被災者と逆の立場で記録された史実に触れ、
仙台空襲を見詰め直す機会にしてほしい」と話す。

15日まで。入場無料。連絡先は記念館022(263)6931。

 先日ですが、戦災復興記念館に足を運んだのですが、
 17時の閉館だったらしく、
 残念ながら目の前まで行きながら、入れませんでした(^_^;)

 近々また足を運んでこの目で事実をしっかり見てこようかなと!

 私は戦争を経験していませんが、戦災復興記念館で見たり聞いたり知ったことを
 次の世代に伝えていけたらいいなと思います。

 後日追記分(2014年07月03日)
 目の前で閉館を食らった2週間後くらいに、
 私ちゃんと戦災復興記念館に行って、この目でしっかり見てきました。

 空襲警報を鳴らしたサイレンも展示されていて、
 実際にヘッドフォンで音を聞くこともできるのです。

 私が行ったときには、ご家族でいらっしゃっている方がいて、
 おばあちゃんが子供に、この音は本当に気持ち悪くてねぇ・・・
 と語っていました。

 私が空襲の様子を描いた絵を見ていると、
 その家族の小さな子供たちが2人やってきて、
 絵を見るなり「怖い!」と言って逃げて行ったのが印象的でしたね。

 映像資料もあり
 ・私達の街にも空襲があった(26分)
 ・戦中戦後の市民の暮らし(13分)
 ・私が調べた戦災(20分)

 私は「私達の街にも空襲があった」を見たのですが、
 元小学校の先生の話で、戦災から逃げる過程や
 戦争中の家族の死といった本当に悲しい体験談でしたね。

 私は後日、仙台に残る戦争の跡「戦争遺構」を探してみました。

 かなりの時間と労力をかけて現地を見てきたので、
 こちらも是非読んでいただけたらなと!

 仙台歴史探訪!仙台に残る戦争遺構を探せ! その1
 リンク:http://sendai-times.net/2013/12/12/post-5471/ ‎
 仙台歴史探訪!仙台に残る戦争遺構を探せ! その2
 リンク:http://sendai-times.net/2013/12/19/post-5505/ ‎
 仙台歴史探訪!仙台に残る戦争遺構を探せ! その3
 リンク:http://sendai-times.net/2014/03/02/post-5619/

 この後も引き続き調査して「その6」くらいまでのボリュームがあるのですが、
 なかなか編集しきれなくて(^_^;)

 いつかかんばって記事にしたいとおもいます!

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